山形県鶴岡市の湯殿山近くの山中にある田麦俣集落

庄内地方と村山地方を結ぶ六十里越街道の中間点にあり、湯殿山神社への参拝客が立ち寄る宿場町として発展しました。

山間地で広い敷地の確保が困難であり、豪雪時の出入りを容易にするとともに、居住空間と客人を泊める空間を立体的に確保する必要があったことから三層構造の茅葺の建築が発達したとのこと。

明治以降に養蚕業が盛んになると、採光と通風を確保するため寄棟屋根の平部分に屋根窓(高はっぽう)を設け

妻側は屋根を垂直に切り上げた兜造り(内部は四層構造)に改造されたそうです。

昭和30年代までは32戸の多層民家が残っていたそうですが、今では現地に残るのは2戸だけとなり、移築されたものも鶴岡市の致道博物館にある旧渋谷家住宅と神奈川県川崎市の日本民家園にある旧菅原家住宅の2戸のみとなっています。

そのうちの一つ、公開されている旧遠藤家住宅ですが

到着したのが夕方だったのでで開館時間が終わってしまい

見ることができなかったのが残念でしたね。

もう一棟は民宿かやぶき屋として営業されており

宿泊することができます。

もう少し保存が早ければ、白川郷に匹敵するような観光地になったのではないかと悔やまれます。

1 訪 問 年 月 2023年6月
2 お気に入り度 ★★★★
3 参考HP
あさひむら観光協会 田麦俣 (昭和30年代の写真があります。)
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庄内地方と村山地方を結ぶ六十里越街道の中間点にあり、湯殿山神社への参拝客が立ち寄る宿場町として発展しました。

山間地で広い敷地の確保が困難であり、豪雪時の出入りを容易にするとともに、居住空間と客人を泊める空間を立体的に確保する必要があったことから三層構造の茅葺の建築が発達したとのこと。

明治以降に養蚕業が盛んになると、採光と通風を確保するため寄棟屋根の平部分に屋根窓(高はっぽう)を設け

妻側は屋根を垂直に切り上げた兜造り(内部は四層構造)に改造されたそうです。

昭和30年代までは32戸の多層民家が残っていたそうですが、今では現地に残るのは2戸だけとなり、移築されたものも鶴岡市の致道博物館にある旧渋谷家住宅と神奈川県川崎市の日本民家園にある旧菅原家住宅の2戸のみとなっています。

そのうちの一つ、公開されている旧遠藤家住宅ですが

到着したのが夕方だったのでで開館時間が終わってしまい

見ることができなかったのが残念でしたね。

もう一棟は民宿かやぶき屋として営業されており

宿泊することができます。

もう少し保存が早ければ、白川郷に匹敵するような観光地になったのではないかと悔やまれます。

1 訪 問 年 月 2023年6月
2 お気に入り度 ★★★★
3 参考HP
あさひむら観光協会 田麦俣 (昭和30年代の写真があります。)
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