中津市は山国川の河口に開かれた城下町
中津城は1587年(天正15年)に黒田如水により築城が始まり、筑前へ転封された黒田氏の後に入城した細川忠興により、ほぼ現在の姿に整備されました。

細川氏が熊本に転封された後は小笠原氏により城下町が整備され、1717年(享保2年)以降は譜代大名の奥平氏が藩主となりその居城となっていましたが

明治になり取り壊され、1964年(昭和39年)に旧藩主奥平氏が中心となり市民の寄付と合わせて天守閣などの建物が再建されたそうです。

九州最古の近世城郭で日本三大水城の一つといわれる中津城の魅力の一つがこの石垣

薬研堀北側にある石垣は途中で切り替わりがありますが

右側が黒田時代のもので、その左側に細川時代の石垣が重ねられているとのこと。

その他、城郭内にも多彩な石垣(一部復元)があるほか

城の南、南部小学校には家老生田家の門や大手門につながっていた石垣が残されていました。

その周辺にも、昔の面影を残す古い建物や町並みがあるほか

町中には慶應義塾の創始者である福沢諭吉や江戸時代の解体新書の訳者である前野良沢など中津市出身の偉人・賢人を紹介する看板が掲示されており、往時の繁栄が窺えましたね。

1 訪 問 年 月 2026年2月
2 お気に入り度 ★★★★
<参考>
・中津城公式HP
・中津城を知る 中津市教育委員会
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中津城は1587年(天正15年)に黒田如水により築城が始まり、筑前へ転封された黒田氏の後に入城した細川忠興により、ほぼ現在の姿に整備されました。

細川氏が熊本に転封された後は小笠原氏により城下町が整備され、1717年(享保2年)以降は譜代大名の奥平氏が藩主となりその居城となっていましたが

明治になり取り壊され、1964年(昭和39年)に旧藩主奥平氏が中心となり市民の寄付と合わせて天守閣などの建物が再建されたそうです。

九州最古の近世城郭で日本三大水城の一つといわれる中津城の魅力の一つがこの石垣

薬研堀北側にある石垣は途中で切り替わりがありますが

右側が黒田時代のもので、その左側に細川時代の石垣が重ねられているとのこと。

その他、城郭内にも多彩な石垣(一部復元)があるほか

城の南、南部小学校には家老生田家の門や大手門につながっていた石垣が残されていました。

その周辺にも、昔の面影を残す古い建物や町並みがあるほか

町中には慶應義塾の創始者である福沢諭吉や江戸時代の解体新書の訳者である前野良沢など中津市出身の偉人・賢人を紹介する看板が掲示されており、往時の繁栄が窺えましたね。

1 訪 問 年 月 2026年2月
2 お気に入り度 ★★★★
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・中津城公式HP
・中津城を知る 中津市教育委員会
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